2005年11月2日付朝日新聞夕刊 思潮21
経済からみた2大政党制
橘木俊詔 京都大教授

日本の総選挙は自民党の圧勝で終結した。小泉首相郵政民営化論を選挙の争点にした策と、企画・監督・主演を自己で仕切った映画興行が功を奏して国民は小泉首相を熱狂的に支持した。民営化は法律も通っていよいよ実施の段階を迎えた。ところで、他の争点、例えば年金問題財政再建憲法改正外交問題、等々を与党はほとんど争点としてなかったので、それらを与党に白紙委任していいか、疑問は残る。
今回の選挙はもうひとつの争点を含んでいた、というのが筆者の見方であった。それは社民党が争点とした「格差の拡大」に関することである。不幸にして社民党は弱小政党なので、選挙の主たる争点とはならなかった。自民党公明党民主党ともにこの問題に深入りしなかった。

なぜ筆者が「格差」を重視するかといえば、国民が日本の格差拡大の現状をどう評価しているか知りたいこともあるが、それ以上に格差(すなわち所得分配)に関することが一国の経済体制、あるいは政府のあり方、ひいては政治・経済思想に関することの争点になりうるからである。
具体的に言えば、市場主義や競争促進を重視して経済効率を優先するか、公共政策を重視して公平性に配慮するか、の選択の場であった。あるいはリバタリアニズム(自由至上主義、ないし意訳して新自由主義)支持なのか、リベラリズム(自由主義、ないしロールズの格差原理を念頭におけば意訳して平等主義)支持なのかの選択であった。前者と後者の差は自由を尊重する程度の差、そして公平をどれだけ重視するかの差とも言える。
もう少し経済に限定すれば、前者は市場での競争のメリットを生かすために、政府は民間経済活動への介入を小さくし、したがって政府の規模は小さくなる。いわば経済効率を高めるために、自由競争をどこまでも優先する立場である。結果として勝者と敗者が明確になるので、国民の所得分配が不平等化する可能性を容認する。福祉を重視すると人々は怠惰になるとして、福祉政策をミニマムにする立場でもある。
一方、後者は民間の自由な経済活動は認めるが、自由放任にしておくと強者と弱者の差が大きくなるので、政府が一定の歯止めを社会的にかけることを容認する。従って、政府の規模は小さくならず、公平性を重視する立場である。福祉政策をかなり重視するし、セーフティネットを評価する立場でもある。
誤解を恐れずに大胆に区分すれば、前者は「効率」を、後者は「公平」を優先する。

経済学では効率性と公平性はトレードオフの関係にあるとみなすことが多い。効率性を優先すれば公平性(すなわち所得分配の平等)は犠牲になるし、公平性を優先すれば効率性に支障をきたすのである。この限りにおいては、経済が好調のときには、公平性を回復するために、国民はリベラルな政党を選び、経済が不調になれば公平性には眼をつぶってリバタリアンの政党を選ぶ可能性が大である。現に欧米の2大政党対立は、このような解釈が成立するような選択を、国民は時に応じてしてきたのである。
時代の潮流を大胆にいえば、1970年代はリベラル、80年代はリバタリアン、90年代はリベラル、21世紀に入ってからは世界的に保守化の波にあるように、リバタリアンの勢力である。
政治の話に戻れば、アメリカは2大政党であり、共和党は効率重視のリバタリアンであり、民主党は公平重視のリベラルを主義としている。ちなみにアメリカでは前者をコンサーバティズム(保守主義)、後者をリベラリズム(意訳して進歩主義)と呼ぶこともある。イギリスも保守党が前者、労働党が後者であり、ドイツもキリスト教民主・社会同盟が前者、社会民主党が後者であるが、現在は不安定な大連立にある。
もとより、欧米諸国では、前者と後者の違いの程度にはかなりの差がある。例えば、アメリカの共和党民主党の差はそう大きくないし、イギリスの労働党は一昔前の労働党と異なり、ブレア政権の政策は保守党に近づいている。むしろ、フランスや北欧諸国における保守と社会党や社民の差は明確である。さらに、多くの国で前者・後者ともに内部が一枚岩でないことは確かであるが、きわめて大雑把にこのように二分できる。
今回の日本の選挙では、小選挙区制が定着しつつあるので、一見自民党民主党となったが、欧米の2大政党の対立とは異なっていた。いやむしろ、この明確な対立を与党も民主党も意図的に避けたとも言える。なぜならば与野党それぞれの内部に、リバタリアンとリベラルの人を抱えているし、あるいは効率優先派と公平優先派の双方がいたからである。そうみなせる一つの証拠に、与野党ともに地方や弱者の切り捨てに反対する人が、少なからずいることがある。もう一つには、従来は弱者を擁護し、平和主義を唱えていた公明党が政権与党に入ったことにより、立場が微妙になっている。

日本はまだ欧米の2大勢力の対立のように、政治・経済思想の区別が明確ではない。その意味では、与党が割れ、民主党も割れ、社民党が西欧の社民に近づき、共産党が伝統的な左翼主義を放棄すれば、リバタリアンとリベラルの二つに再編成され、思想が明確に区分された真の意味の2大政党の対立となる。
そのような下での選挙であれば、国民も確信を持ってどの党に投票するかが決められたのではないか。今回の選挙は郵政民営化だけで争われたので、国民に戸惑いがあったかもしれないし、政治・経済思想の対立に基づいて、日本の進路を決める本格的な選択が出来なかった、というのが筆者の解釈である。